西田 瑠衣さん (第2期・卒業生)

~丹波栗を未来につなぐ~ 丹波の風土に惹かれて、栗と生きる道へ
■心に残っていた、畑の時間
「農業をやろうと思った原点は、幼い頃の記憶ですね」
西田さんがそう振り返るのは、友達の家の畑で過ごした時間だ。土に触れ、作物が育っていく様子を間近で見た体験が、今も心の奥に残っているという。高校時代には農業系への進学も考えたが、さまざまな事情から断念。その後は空港で働き始めた。しかし、コロナ禍という予期せぬ出来事が、人生の歯車を大きく動かすことになる。
「やっぱり農業がやりたい」
その思いに、迷いはなかった。
自分で育てたものを提供するカフェへの憧れも、以前から心の中にあったという。
そんな折、テレビで紹介されていた『農の学校』を見た母親から、「こんな学校があるよ」と声をかけられた。説明会に参加すると、気持ちは一気に固まった。
「もう、即決でした」
さらに現地説明会で訪れた丹波の景色や空気、風土に触れ、「ここで学びたい」と確信したという。
「やるなら中途半端は嫌だった。ガッツリやりたかったんです」
■現場で積み重ねた、いまにつながる力
卒業後は大規模農業法人へ就職。丹波栗、米、大豆、各種野菜の栽培に加え、牛のお世話まで経験し、実績を積み上げていった。農機具の扱いから収穫・調整作業まで、現場は多岐にわたる。ここでの経験が、現在の基盤になっている。
就農2年目となる現在、西田さんは自身で借りている栗園を中心に農業に向き合っている。
丹波栗の収穫期は9月から10月中旬。栗拾い、磨き、選別と作業は続き、繁忙期には夜な夜な作業に追われることもある。現在は、丹波春日焼き栗会の会員として焼き栗販売にも取り組んでいる。
「病気で黒く変色する栗を見極めるのも大事で、毎日が勉強です」。
そう語る手先は、栗作業で荒れた“勲章”のようにも見える。
さらに、JAや県丹波農業改良普及センターが認定している「丹波栗剪定士」を目指し、現在も修行に励んでいる。市内で行われる養成研修は座学を含んだ剪定実習もあわせて年に2回。これに3年間参加して、ようやく受験資格が与えられるという、決して平坦ではない道のりだ。
春日町の良質な栗園がある地域へ移住したことで栽培環境にも恵まれ、近隣には剪定の師匠もいる。日常的に相談できる存在がそばにあることを、心強く感じているという。

※結果母枝とは、前の年になった栗の実がなった跡の枝こと。新しい芽から翌年に枝を出し、
その新しく出た枝に、その年の実がなるため、選定の重要なポイントとなる。
一方で、期間限定ではあるが、ベテランの有機農家のもとへアルバイトにも通っている。オクラやトマト、サツマイモ、にんじん、大根、水菜、春菊、小松菜など、露地・ハウスを問わず幅広い作物を手がける先輩農家だ。
「大規模農家での経験が、今すごく活きています」。
作業の段取りや機械の扱い方、収穫後の調整まで——これまでに積み重ねてきた経験が、確かな実感となって現在につながっている。
■流れに身を任せて、丹波栗とともに
「力を抜いて、流れに身を任せるように農業を続けたい。農業が嫌いにならないためにも、自分なりの距離感を大切にしたいんです」
その一方で、強い想いもある。
「丹波栗は、絶対に広めたい」。
現在、栗農家の多くは70代後半。地域全体の高齢化が進み、このままでは丹波栗そのものが途絶えてしまうかもしれない。
「そこに自分が関われるなら、少しでも力になりたい」
丹波の風土に根を張り、栗と向き合い続ける日々。
西田さんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。

